ここに居たい

今は会社員、前は引きこもりニート。

【現在】うつ病者がゆゆうたのお陰で内心の自由を得た話

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【現在】表記のタイトルの記事は、

うつ病、引きこもりニート毒親家庭のサンドバッグ役だった筆者が

【現在思う事】です。

不調のさなかにいらっしゃる方は、決して無理のない範囲でごらんください。

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私が思う「一番てっとり早く鬱になれる方法」は、

心の中で「こんな事考える自分はダメ」と、

内心を束縛する事だ。

 

「こんな事、考えちゃダメ。負の感情を抱いちゃダメ。

そんなの良くない。

だから他人に怒ったり、恨んだりしても、嫉妬してもダメ。

負けを認めて悔しくなるのもダメ。

でも、勝って人を見下すのもダメ。

驕り高ぶるとダメ。人の不幸を喜んだり、笑うべきじゃないとこで笑うのもダメ。

でも嬉しい時、嬉しくあるべき時には、笑えないとダメ。

優しい笑顔を見せていないとダメ。明るく健康な人じゃなきゃダメ。

あれ、私ってどういう人間だったっけ?

でも迷っちゃダメ。悩んじゃダメ。」

 

こんな事していると、やがて最短距離でメンヘラに到達するのは

感覚で分かってもらえると思う。

思い、考え、感じる事を肯定できなくなったら、

心を持つ生き物である人間は心から死んでいくのだ。

 

心の自由を奪われると、人は何者かに操られる泥人形か、

自分の意思や意欲のもとで動けない泥人形のいずれかになるしかない。

筆者は、ガチガチの束縛状態と

緩めたリラックスの状態を両方味わった後、今現在だからそう分かるのだが、

 

束縛状態にあると、自分の置かれた世界がどんどん狭まっていることにも気付けなかった。

自分がその時、苦しいと感じていることにすら。

 

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「ゆゆうた」という日本人男性がいる。

彼のことをご存知ない方々のために、勝手ながら紹介させて頂くと、

稀有なピアノ技術と音感、優れた作曲編曲・即興演奏のスキルを武器に活躍されている、

大人気の音楽系Youtuberだ。

 

彼の本領は、「才能の無駄遣い」と、彼を知る人ほぼ全員が声を揃えて言うだろう、

その創造的かつ破壊的な作品群である。

創りながら(※主に彼自身の社会的地位を)壊すアンビバレンス。

でも人柄は真面目。優しさや誠実さ、知性がにじみ出る言葉選び。

でも大体やってる事がアホくさすぎて、驚き呆れながらも親しむ事しか出来ない。

自らゴミ箱に突っ込んでいくスタイル。うんこの擬人化(自称)。

なのにすごいピアノ上手い。段々歌まで上手くなってきている。

動画を見ないと、彼のことは到底分かってもらえないだろうから、

気が向いたら最下部のリンクから見て欲しい。

 

そして私が初めて見た彼の動画は、いわゆると言うか、

深い知識を有する視聴者の間で「OMMC」という隠語で呼称される曲の動画だった。

「おっぱいんこんこ(女性器)んこ(男性器)~♪」と歌っている動画だ。

(※現在は諸般の事情で、この曲に関する動画は当人のチャンネル上においては削除されている)

 

その時私は「ワハハおもしろいな~素敵なメロディとすごい歌詞~

あとコメント的確ゥ~^」と思って

動画を閉じた、ような気がする。

 

でも、後になってじわじわと、

疑問というか、不思議な感じが湧き上がってきたのを覚えている。

 

「私は心の中ですら、女性器の名前も、男性器の名前もうまく言えない」

ということに気付いていったのだ。

 

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私がYoutubeという動画投稿サービスを楽しめるようになったのは、

割と最近のことだ。

もっともひどい鬱状態に陥ってから、3年ほど経った頃かと思う。

サイコセラピーを重ねて、外出も出来るようになった頃だった。たぶん。

まだあまり積極的に楽しみが見出せない生活で、

でも私だって笑いたいなとか、楽しみたいなと思い、笑えそうな動画を探してワハハと言えていたから、そのくらいの回復を遂げていた時期。

 

心の中の状態は、たぶんくらいの緊縛度。

Youtubeはいいな、スマホはたのしいな。別に楽しんで良いんだよな。もう私が楽しんで笑ってたりすると舌打ちしてくる親とは別居したしホッとするな。

怒っても泣いても、もう大丈夫。

なのに、なんだか、楽しく生きたいけどまだそれを許しきれない」

 

という感じ。まだまだ束縛は強かったし、

自分の本音がいくつもある事と、

それらが葛藤することに、少し過剰なくらいに悩んでいた。

 

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ゆゆうたの動画を見て、私は

「心の中ですら、自由になれない時には

汚い言葉やネガティブな表現も、卑猥な単語も言えないのだ」と気付いた。

 

んこ(女性器)、んこ(男性器)、

そのいずれも、心の中で歌おうとすると「~んこ」「~んこ」といったように、

モヤが掛かったようにしか、歌えなかったのだ。

「おっぱい」は歌えるのに。

 

「おっぱい」がすんなり歌えていた理由については、推測なのだが、

幼少期に親しんだ童謡のせいだろうと結論を出している。

「げんこつ山のたぬきさん♪おっぱい飲んで寝んねして~♪」のアレだ。

 

NHKでもワンチャン流せそうな、美しい母性を連想させる言葉だからだ。

でもんこ(女性器)んこ(男性器)となると次元が違う。

NHKから一転、PornhubXVideosFC2FANZAでないと聞けないオトナの危険ワードへ転落する。

 

個人的にはアダルトものに関しては、18歳以下の頃からぞんぶんに楽しんで見ていた。

なのでそんな人体の一部の名称、今更恥じらう事もない筈だった。たかが三文字だ。

なのに歌えなかった。

 

ゆゆうたが気持ちよさそうにOMMCを歌っている様子なら、

心の中の映像記憶と音声記憶でリフレインできるのだが、

自分が心の中で歌おうとすると、どうしても出来ない。

 

だからいっそ、口に出してしまえと思ったのだろう。

一人暮らしの我が城で、家の中で、ついに私はリアル歌ってみたのだ。

「おっぱい、~~~~~~~~~~♪」

 

と、超小声でやってみた。

その記憶にも今ではもやが掛かっている。

~~~~の部分はモヤだ。

途中で「ウフォッwww」となりそうになった気がする。

歌った後、どうしたかはもう思い出せない。

 

けれど変化は、きっとゆっくり、

自分自身でも分からないように起きていたのだろう。

静かで凪いだようにも見える微かな波が浜へ寄せ、失われた小さな宝物を

再び陸へ打ち上げるが如くだったのかもしれない。

 

「こんな事考えちゃダメ。言うなんてもっとダメ。そんな自分はダメ」

と、私を縛っていた縄は、代わりに波に攫われていったようだ。

 

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『思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。』

これは、日本国憲法第19条の引用である。

日本人に保障されている自由な精神活動の、「思想及び良心」の解釈については

信教、表現、それぞれの分野において議論がなされているらしいが、

 

私が考える、心の中における自由とは、そんなかたっ苦しいもんじゃなく

「何こいつ」とムカついたらムカッと出来ること、

「ウケる」と笑ったら笑えること。

 

「こんな事考える自分はダメだ…」と、もう縛らなくていいこと。

 そのくらいの身軽さだ。

 

ちょっと憲法からは拡大解釈させてもらうことになるかも知らんが、

心の中でなら、●●しても良いし

●●●●●しても良い。と、思うのだ。

 

あらゆる規範やモラルやリテラシーをかなぐり捨て、

あらゆる欲求や願望や煩悩に従い、クッソしょーもない事をしても、

そのフィールドが己の精神世界である限り、どんな外的環境に苛まれていようとも、

人は真の自由を失わない。

 

今では、私はすっきりと、

「あの上司ムカつくよなマジで、さっさと●●して

●●●って●●●さらせハゲ」とか、

「○んこ〜♪」などと、心の中でスラスラと思えるのだ。

「あ〜〜●●してぇ地球滅べ」と、地獄のように落ち込む日もあるが、

「ハゲとか思っちゃダメ。落ち込んじゃダメ」と、自責の念でガチガチにならなくてもよくなった。

絶望できることも、私を気楽にさせた。

 

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今日、なぜこのブログを書くに至ったのかは、自分でも分からんし

どういう私の心のカオスがもたらした文章かも、心というネイチャーのやる事なので知るよしもないが、

 

私は、その時まですっかり忘れていて、ただなんとなく思い出しただけのことを、

「思い出との再会」なんて表現したくなる事があるのだ。

自由にしてくれた人の思い出と再会できると、良かったと思う。いきててよかった。

 

「自由になりたい」と、今日生きている誰しもが、

言葉にこそ出来ずとも求めているのではないだろうか。

そんなとき、「誰だって自由になれる」と教えてくれるのは、

経典の文字であったり、指導者の言葉であったり、

古聖賢の歌であったりと様々だろう。

 

私にとっては、それはたくさんの人のいろんな言葉を少しずつ受け止めた結果、

出来上がった集積だったように感じられる。

 

そのたくさんの人のうち一人が、

そして大きい役目を果たしてくれた人が、

事故的な出来事であったにしろ、ゆゆうたさんであった事は間違いないと思うのだ。

 

今試しにすごい小声でOMMCを声に出して歌ってみたら、やっぱり噴き出しそうになった。

昔の日本人は卑猥な浮世絵や本やらを「ワ印」=笑い絵のワ、猥のワ

と呼んだらしいが、深く共感する。どうやったって笑ってしまうからだ。

 

たぶん、初めて自分一人で、自分のために「歌を歌った」のはあの時だったし、

今、自分の歌に自分でバカバカしすぎて単純に笑えるのは、

 

ほんの些細なあの出来事が、私の人生を狂わせた作用点として、

同時に出発点として、在り続けてくれるからだ。

 

笑ったことを、

「笑って良いんだ」と、

安心して思えるようになったきっかけの一つが、割とマジできっとあの日だった。

当時歌った後、もう思い出せないけど、

あの時の私も笑ってたんじゃないかなと思う。

 

ゆゆうたさん、ありがとう。

私を自由にしてくれてありがとう。

 

クッソくだらないようで、真面目に書いてみました。

心の檻を破壊するお話。

実は束縛多いネットの楽しみ方の中でも、

自分を解放するという方向へエネルギーを働かせられれば、いいなあと思うのです。

 

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【現在】働きたいのに働けない人へ

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【現在】表記のタイトルの記事は、

うつ病、引きこもりニート毒親家庭のサンドバッグ役だった筆者が

【現在思う事】です。

不調のさなかにいらっしゃる方は、決して無理のない範囲でごらんください。

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働きたいのに働けない人へ。

 

まずニートが生まれる家庭にありがちなパターン。

 

片親

もしくは需要と供給が合っているだけ」

家の中に心許せるリラックス感や言いたい事を言える親密さがない

家族間の仲が一見良さそうに見えても「需要と供給が合っているだけ」

 

「働くこと=犠牲を払うこと」という負の認識

「俺はこんなに働いてやってるのに」

「私達はこんなに苦労してやってるのに」

「(ため息」など、

とにかく隙もないのに人の劣等感を刺激して

罪悪感を与えるのがうまい嫌味型モラハラ常習メンバーが居る

 

働いて幸せになってる好例が見えない、もしくは少なすぎる

まともな労働に従事できているメンバーの比率が低い(地方多し)

あるいは仕事デキて当たり前みたいな認識持ってるメンバーが多数(都市部多し)

働き手ならではの優れた社会性が子供にとっての良質な見本として機能せず、

「働いて人の役に立つ喜び」「時には厳しく導き、食わせて健やかに育てる喜び」という幸福のモデルが著しく希薄

 

働いてない事に関して親がそこまで口うるさくない

「バイトくらいしたら?」

「これからどうやって生きていくつもりなんだ?」程度で罪悪感が爆発し本人死にかける

 

信頼できないから敵意ばかり溜まる

「いっそもっと親がブチ切れて、死ぬほど怒ってくれて、家から追い出してくれたら良いのに」、

と無職本人が思うくらい口うるさくないからこそ、

「本当は両親は、僕私が働いてない事に対して、ずっとものすごい量の怒りを溜めてるのかもしれない」と敵意を溜め、

それを日頃の習慣から親に対する敵意と自認できず罪悪感と勘違いし、

そのニセ罪悪感が爆発し本人死にかける

 

本人が割と深刻な状態

だいたい心理的に疲弊してる子を持つ親って身体的な不調にはすぐ気付いても

「あの子がまさか心を病んでるわけがない」とか割と本気で思ってるし言う

不調が悪化して子が引きこもっても

「どうしよう(ため息」「しょうがないな(ため息」しか言わなかったり

 

家庭内のメンバーが誰も解決に向けて本格的に動こうとはしない

せいぜい心療内科に連れて行って終わり

認知行動療法やカウンセリングなど他にも選択肢はたくさんあるというのに

そうした具体的かつ実践的解決法にはアホみたいに抵抗する

「あの子を思い通りにできない」事でいつまでも悩みたがり、依存されたがる親と

「親の思い通りになれない」事でいつまでも悩みたがり、依存したがる子の

需要と供給が半永久的に合い続ける

 

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家庭内のありがちパターンの次は、

無職の親にありがちなパターン。

 

友達が居ない

これに尽きる

もしくは外面が良いだけで人と瞬間的にしか付き合えない

 

○○したい」自己実現願望よりも

「~~に見せたい、〜〜と思われたい」承認欲求優先

「普通にしあわせになりたいから」子供を作って

いざ普通すぎる伴侶や子供に囲まれるとグチグチ言ってる

都合が良いんだよなこういう人って

都合が良い時だけは普通でいたがるくせに特別になりたがってて常に傷付いてるからグチグチ言うやつ

 

自分の感情から逃げる

プライドという心の壁の高さは、人を幸せにする余裕の無さとイコール。

だからこういう人って常に負け惜しみしか言わないとかあるあるだし

逆に「自分はこれが好き」「あなたのこういう所が良いと思う」などと率直で優しげな、他者への肯定的ワードは全然まっすぐ言えない

 

自分の感情から逃げるから感情的行動の後処理も他人に丸投げする

お察しだとは思うけどこんなんだから友達が居ない

あとは「しあわせになりたいから家庭を作った。しあわせになるには犠牲がつきものだ、

だからたくさん犠牲にして子供を育ててきた。

だからあの子にはこの期待に応えて欲しい」などと、

承認欲求や依存心や支配欲、犠牲者意識まで全部自覚ないうちに子供に丸投げする

 

⑤「あの子に幸せになって欲しいから、」などと口では言うけど、

本心じゃ「俺私より幸せになるか大成して欲しくはない」と思ってるか、

もしくは大成すれば「あんなに犠牲を払ったんだから親に感謝して欲しい」と思ってる

 

子はツール(女親Ver.)

自己肯定感が低すぎて大人になれない。

子供に甘えて構ってもらわないとさみしくなっちゃうし、

子が男なら「ママと結婚する」「ママ大好き、僕が守ってあげるね」をマジで魂に刻んで腕の中から離す事をガチで拒むし可愛い息子たんの彼女や嫁をウルトラ敵視

子供が女なら色気付いてきて劣等感刺激してくると「私より美しくなっちゃ嫌。良い旦那を見つけちゃ嫌」が発動し、

無意識の行動で自立を阻害しがち。

人生通して「やっぱりこの人は、この子は私が居ないとダメなんだわ。あなたは本当にダメな人ね」と思わなきゃやっていけず、

ダメな人について悩んでいる間だけは自分が立派になれたと錯覚して気持ち良くなり、

独りじゃ1ミリも自我と自尊心が確立できない

 

子はツール(男親Ver.)

自己正当化しすぎて大人になれない。

子供が思い通りになってくれないとプライド傷つくし、

かと言って完璧かつ理想的な子供になられても自分が上回られちゃって腹立つし、

嫁が子供を可愛がってたら嫁の母性が自分へ向かなくなった事にまず傷付き、

同性の息子であればことさら敵認定して子供のままで居させたがり

つまり自立を阻害し、

娘が生まれて可愛い子に育ったら溺愛してしまい

「パパ臭い!」とか万が一言われたら傷付くし自分より優れたイケメンに嫁に行かれたりしたらマジで傷付くから子供のままで居させたがり、

つまりやっぱり無意識の行動で自立を阻害しがち。

子供にとって大事な発達のチャンスを無自覚なまま取り上げて、

人生の手本になるべき彼ら子供の前ですら

『幸せを与えられる立派な大人像』を見せてやれず、

あとは多くの場合は自分の非を認めて謝りたがらず、

自分が己の成長を止めてる事に気付かないから子供の成長まで止めてる事も

無論全く自覚なし、

人生通して「俺が正しい。俺はつよいんだぞ。俺を尊敬しろ、ちやほやしろ」と誰かを支配して自己正当化しなきゃやっていけず、

でも度胸がないし仕事のストレス溜まってるから

お山の大将になるのは家庭内のみ(教師の場合は職場でもやってるが)。

嫁や子供を弱者扱いできるチャンスだけは逃さずに、

統率者になれた時だけは気持ち良くなり、

独りじゃ1ミリも自我と自尊心が確立できない

 

そんなみっともないところを自分の子供や弱い立場の人に受け止めてもらえないと、自我と自尊心を確立できない

だから家庭内の誰かが自分より落ちぶれていれば、

そいつを見下して、

自分が自立した人間かのように思えて、半分は安心して生きていられる

 

 

 

ニートとか引きこもりなんかは、

だから半分だけ自立してるんだよ。

 

親の「働いて立派になって欲しい」という望みに反抗して、

自分の「働きたくない、甘えていたい」という望みを貫いているからさ。

 

 

しかし、彼らが胸を張って堂々と生きていく事が出来ないのは、

もう半分がものすごい重力の「ずっと子供で居てほしい」という親サイドの依存であり、

それに応えちゃう「うんずっと子供で居るね」と言う依存である事により、

葛藤して疲れ切っちゃってるからなんだけどね。

 

 

ただ生きてるだけで、

しょうもない親の負債を両肩に背負ってきただけで、

きみらには、周りの目には見えない疲れが溜まっちゃったんだよ。

 

『この年齢なら出来て当たり前のこと』というタスクを、

段階を経ながら処理しきるチャンスは保護者によって奪われ、

走って追いつこうとする余裕もなくなり、

ただただ重責と疲労感がたまり、

心身ともに衰弱しきって、

 

おまけに「自分はこんなもの背負って一人で生きていけるわけない」、

「ていうか自立して幸せに生きていく資格ない」などと、

自分よりも養ってくれた親を正当化して、

「だって親あっての自分だから」って、

親ごとセットにして自分の存在を認識する事が習慣になってるから、

 

「よーし自分は親より若いし親よりチャンスいっぱい掴んで親の知らない幸せ掴んで豊かに生きていくぞー」とか思えるわけないし、

働きたいなんて自ら思うわけないよ。

 

 

ニートや引きこもりの親は、

彼らの子供達に対して、「自立して幸せになって欲しい」なんて、

思っちゃいないんだもの。

思ってたとしても、割合は多くて半分だよ。

 

バカ親なんてそんなもんさ。

 

「自分より下」と見なした人間としか付き合えず、

みんなで一様にマウンティングして「自分は勝ってる」と思い合ってる、

地獄みたいなコミュニティは世に溢れかえってるでしょ。

あれが繁殖して親になると、こうなるんだよ。

 

 

子供サイドがどうしたら幸せになれるかって、

「自分には○○する資格なんてない」という底なしの絶望感が、

どこから生まれて来たのかを、辛くても考えることから始まるよ。

 

○○に当てはまるものは、本当に人による。

息をする資格ないとか、

ご飯を食べる資格はないとかね。

 

 

働けない人たちは、

「自分は働いて幸せになり、大人になって、自立と充実を手に入れる資格はない」と思ってるんだ。

 

でも無理して頑張っちゃう。

「親に申し訳ない」とか、「世間の目が」って気にして、

本心から働きたいなんて思わない内に働こうとして、

 

でも面接や電話が怖くて、

「こんな事で怯えている自分はダメだ」って泣いてる。

その葛藤はまさに、自立と依存の大げんかなんだ。

 

 

親に植え付けられた依存心と、

自分の体の中で悲鳴を上げてる自立心がぶつかってる。

「この葛藤がどうしたら解決するのかも分かんないし、っていうかどうしたら解決するのか分かったところで、

その最良の道を選んで幸せになる資格なんか自分には(ry

ってなるから、周りにしてみりゃ、もう本当どうしようもない。

 

周りはそりゃあ、「どうしたいの?」って聞きたい。

迷子は自分の問題が分からないから、

「どうもしたくない~~~(泣」って泣いちゃう。

周囲「うーんこの」

ってなる。

 

雇う側にしてみりゃ、

「おうそうか、もうちょっと大人になって、目的地が分かってから来てね」ってなる。

 

 

しょうがないね。

たいていのお仕事とは、

身体だけ大人なのにこまっている幼児をこまった親から引き離す事じゃない。

大人同士の大事なものだから、うーんこのしてる場合じゃない。

 

 

きみたちは、

自分の親がかなりレベル低めの、大した事ない人間たちだって自覚する事からやってごらん。

 

こまっている幼児を大人にしてくれる大正義カウンセリング行けば速いけど、

まだ「行ったら治って幸せになっちゃう」って怖いでしょ?

 

幸せになりたいけどなりたくない病のどうしようもなさ、

果たして伝わったかねえ。

 

 

親を超えられない、彼らの思惑を超えてはいけないという思い込みは、

でもきみを殺しちゃうよ。

 

「うんお願い、親を超えないで」って暗に要求する親の、半分望み通りになって、

きみの喜びに満ちた人生は、老いていく親に吸い取られちゃうんだよ。

きみにはちゃんと人を幸せにする力が眠ってるのにね。

 

 

本当に自分を幸せにできるのは、自分自身なんだって気づいてごらん。

 

それでいつか、

きみが精一杯心を込めて作ったもので、

誰かを喜ばせて、お金をもらって生きてごらん。

 

親へのニセ感謝やニセ罪悪感なんて、

吹っ飛ぶくらい楽しいよ。

 

本物の感謝がどういうものかも、

その時に初めてわかるしね。

 

人間は不思議なもんで、

ニセモノでは決して満足できないようになってるんだ。

 

いくら長い間摂取しても、ガブ飲みして浪費してやっても、

例えば満たされない事を自分のせいにしても、何かのせいにしても、

尚飢えて、いつまでも欲しくなってしまうなら、

きみが味わおうとしているそれは、紛い物なんだよ。

 

 

自分の感覚を以てして「僕私は生きていて良いんだ」と信じきれず、

「今生きていて、本当に幸せだ」とも信じられなかったら、

無理しなくて良い。

 

その飢餓状態に付け込んでニセ幸福を売ろうとする、

悪い奴らが寄って来るかもしんないから、

何か意図して信じようとだけはするなよ。

 

働きたくて仕方ない!とか自然に湧いて来るまで、

働かなくて良い。

 

気がついたら信じてたって、ふと自然に気付く時まで、

何か必死で思い込もうとしたり、信じようとしたりしなくて良い。

 

 

本当に理由があって働けないなら、無理しなくてよい。

働きたいのに働けないなら、

「働きたくないんだ!!!!!!!!!まだ甘えていたいんだ!!!!!!!!!!!!!あのクソ親に!!!!!!!!」って、

いっぱい甘えておいで。

 

「親に傷付けられるかもしれないし、期待を裏切られるかも。本当はずっと怒りを溜められてるのかもしれない、もう親と顔合わせたくない、申し訳ない」って、

ビクビクして実際傷付きながらも、

思いっきり依存しておいで。

 

実行できなかったら、頭の中で緻密に想像しな。

思いっきり依存って、思いっきりベタベタする事でも、死ぬほど怒ってやる事でもあるんだよ。

 

だから、怒りのあまり現実的に殺すなよ。

家族を殺すって愛情の裏返しだからさ。

 

 

きみの親は、きみを半分優しく、半分生殺しに

し続けてるけどね。

 

子供可愛さと自分可愛さから、

親が子供の発達をじゃましてしまうなんてのは、

どんな親でもついやってしまいがちな事だと思う。

 

でも、このレベルまで発達のチャンスを奪い、

成長を止めさせて、掴みとれた筈の幸せを奪うのは、

殺人と同じくらい重い罪だと私は思うよ。

 

だって子供は、親が死んだ後でも、

親に背負わされた不幸をかなぐり捨てられない限り、

ずっと不幸なまま、苦しんで生き続けていかなきゃいけないんだから。

 

 

不幸な人たちって、寄せ集めるとロクな事しないでしょ?

きみは一人で脱出して、幸せになりなよ。

 

本物の幸せに犠牲なんていらないから。

 

お姉さん応援してるよ。きみならいける。

頑張れよ。

親に負けるな。

【現在】自己開示の練習

色々書いては消したけど、全然私らしく書けない。

 

ブログ開設したての頃あるあるだと思う。

最初のうちは全然滑らかに書きたいことを書けない。

なので、ウォーミングアップをしていこうと思う。

 

自分らしさとは、固有の人格の特徴だから、

文章中でたくさん発揮されればどこの誰かを特定されるリスクがある。

 

滑らかに喋ってブログ更新が重なるごとに情報もダダ漏れになって、

もし奇跡的に知人がこのブログを見たら、

これ書いてるのあいつだ!と分かってしまうかもしれない。

 

身バレを恐れていたら何も表現できなくなる、でも

私は身バレが怖い。今までに悪いことをたくさんやらかしたからだ。

今までは、趣味の合うネット仲間だけが閲覧可能な閉鎖的なブログしか書いた事がなかったので、

ここで全世界へ向けて書いていく内に、どうなってしまうかもわからない。

上手いフェイクの入れ方を習得するか、

それかもう身バレとかどーでも良いやって思うようになるかもしれない。

 

私はここ一週間くらい、仕事でミスしたきりずっと落ち込んでいる。

謝って、リカバリーにつとめ、

求められる通りの対処はしているけれども、

「ただただ聞いて欲しい」という求めには、何もしてやれていない。

 

リアルの世界で助けを求められない。

たまに会って遊んでご飯を食べる関係の人は居る。

セラピストとも定期的に会えている。

けれどもまだ、私は困った時に、人に頼るとか、「○○して欲しい」と求める事が、

頭の中では出来ても、実際はほとんど出来ない。

仕事なら、誰かの支障になるから何卒お願いしますと言える。作業として

 

今は自分のために、友達に話を聞いてほしいと心の中で思っている。

それくらいの事でしかないけど、出来るようになった。

「そっかーでも誰だってそのくらいやらかすじゃんアーシなんてサァ、」

とか言ってくれるギャルの友達が、今はものすごくほしい。

 

サイコセラピーは5年以上受けている。

衰えた心の筋肉を鍛えている最中だ。

今の私は子供の頃にやれなかった、すべての愛着行動をやり直している。

 

今は、「こっちを見て話を聞いて、頑張ったねと褒めてほしい」、

そういう子供みたいな欲求を厭わしく思わずに、自分でまずは認めてやりたい。

 

旦那との関係が、良いようであまり良くはなくて、それも悩んでるから、

なんかそういう突っ込んだ話も気楽に聞いてくれそうな人に話したい。

セラピスト先生には、まだ解決したいと私が強く思っていないから、

あまり時間をかけて話さない。

 

旦那と喧嘩はしないけど、夫婦生活も全くない。

私が断って、彼が待っていてくれる。自分の女らしいところが小さくなる気がする。

それも退屈な生活も嫌で、体が見るからにたるんできたことも嫌だから、

今年になって日本舞踊を始めた。

 

子供はいない。

生理前になると自傷行為がやめられなくなるPMDDなので、ピルを飲んでいる。

おかげでなんとか仕事も続けられている。

生理休暇ってリアルで取ってる人いるの?無理じゃない?

 

いつか欲しい気持ちもあるけど、

生まれてきたことを後悔させたら嫌だから、

まだ到底子供は望めない。

私が奥底では、生まれてきた事を喜んではいないからだと思う。

 

 

 

鬱の時にも頻繁に読んでいて、一番救われたのは

根本裕幸先生の公式ブログ。

エネルギー余らせた、仕事も恋愛もできない女には、つらい時に頼れるのはこういう無料で公開してくれるコンテンツだった。

 

根本先生の回しものではない。自称メンヘラ女はまじでこれ読んで欲しい。

 

エネルギーの使いどころをみんなが見つけられたらいいな

nemotohiroyuki.jp